性同一性障害の概要


目次


性の連続性

「人間の性別は2種類でない。16〜32種類に分類される」と言ったら信じるでしょうか。多くの人は一瞬耳を疑うに違いありません。

西洋系の文化に於いては永らく、性別は2種類であると信じられてきました。日本に於いても、古代は良く分かりませんが少なくとも中世以降はそのような思想が広く見られますし、殊に明治維新以降、西洋の影響を受けて「性別は2種類」という信念は非常に強固なものとなったことが知られています。(……とわざわざ書くのは、2種類とは考えない文化もチベットなどに見られるためです)

さて、一方で人類の歴史を通じて男女何れにも分類できない人間は存在し続けました。そして、20世紀の後半以降今日に至るまでの生殖科学の研究の中で性別を2種類に分類することが正しくないということが明らかになってきました。私が今から語ろうとしている「性同一性障害者」というものもまた、その性別二分法に適さない性別のあり方のひとつです。

その詳細となるとまだまだ分かっていないことも多いのですが、少なくとも人類の性別を二項対立的な断絶した2つに分類することに無理があることは間違いがありません。「人間とは女と男である」という広く浸透してきた説は最早、非科学的な迷信と言っても過言ではないでしょう。

長く信じてきた基礎的な認識を改めることは難しいものです。性別概念というのは正にその「基礎的認識」にあたるでしょう。私たちの社会も、個人の人格構造もみな、多かれ少なかれ性別二元論に影響を受けてできています。

『脳の欲望 死なない身体』(野村進)には「男女の連続性の発見は、人間の歴史の中で、天動説から地動説へのコペルニクス的転換、および動物と人間とのつながりを示したダーウィンの進化論的発想とともに、人類史上の3大思想革命のひとつ」との熊本悦明・札幌医科大学教授のコメントが載っていました。思えば、当時の人々も「確固たる不動の大地が存在する」という認識の喪失に世界観の崩壊する恐怖を感じ、「魂のない動物と、神の息を吹き込まれた人間」の断絶を埋めるような涜神的言説に怒ったのです。連続性を発見して流布した科学者はしばしば火刑に処されたり社会的に抹殺されたりしました。

しかしながら、この科学時代(という言い回しは非常に20世紀的で古くさいですが)に生きて、少なくとも中学校までは否応なく理科を学習なさってきた皆様は、今少し科学的に冷静に、私たちのことを理解してくださると信じています。「科学的に正しいと信じられてきたものを信じる」という科学権威主義ではなく、「自ら科学的に思考して正しいと結論したものを信じる」という真に科学的な姿勢によるならば、きっと事実の認識に関して私と同じ結論に到達してくださるでしょう。性同一性障害というものについて、できうる限り客観的で科学的であることを目指して、説明をさせていただきたいと思います。

可能な限り情報のソースを示しながら記述しましたので、よろしければ併せてお読みください。


性の分化と多様性

性同一性障害についてお話しする前に、性がどのように形作られるのか、性はどのように多様であるのかということをお話ししたいと思います。その文脈の中でお話しするほうが性同一性障害についてもわかりやすいことでしょう。

人間にとっての性別は幾つかの独立した連続量のパラメータが複合したものであって、所謂「女」とか「男」とかいうものはその複合量の分布がピークを示す2つの点と言えます。

つまり性別は、「男」と「女」という二点の間の断絶した二項対立と言った一次元的なものではなく、多次元の連続関数と言えるでしょう。

セックスとジェンダー

さて、性別をその構成要素に分解することをしてみたいと思います。以下の分類法は成田(1999)を参考にしています。説明についてはLeVay(1993)を参考にしました。

もっとも大まかな分類は「セックス(Sex)」と「ジェンダー(Gender)」です。日本語で言うと「生物学的性」「社会的性」になるでしょう。

セックスは身体的・物質的に決まっているヒト種のオスとメスの差異を言います。

これにたいしてジェンダーは人が文化の中で育ち、生きて行くにつれて期待されたり、身につけたりする性別に関する属性をいい、「男らしさ」とか「女らしさ」とか言うときの「性別」はジェンダーにあたります。これは後天的で文化的なものなので、地域や時代によってその差異のあり方は変わってくることがあります。

もっとも、単純に2つに分解できるとは限りません。例えば、男性よりも女性におとなしい人が多いのは、1つには血中の男性ホルモンが少ないからであって生物学的なものだけれども、それ以上に文化的にそのように育てられる傾向があるからです。

明らかにセックスに属する性質もありますし、明らかにジェンダーに属する性質もあります。そして、どちらとも言えないものについては、上記のようにそのセックス的要因とジェンダー的要因を考察したりします。「セックスとジェンダー」とはそのような用語です。

さて、ここでもう一歩進めて、更に細かく分類してみましょう。

セックスの分解

まずはセックスを分解すると、次のようになります。

染色体の性

X染色体とY染色体の組み合わせです。中学校の理科や高校の生物の教科書には、脳天気に「XXなら女、XYなら男」と書いてありますが、実際には、XO、XX、XY、XXX、XXY、XYY、XXXX、XXXY、XXYY、などがあります。

理想的には確かにXXかXYであるはずなのですが、減数分裂に失敗したりして結構な割合で他の組み合わせが発生します。

更に、通常は身体を構成する全ての細胞に同じ遺伝子セットが含まれていますが、稀にそうでないことがあります。特に性染色体に限って言えば、ある細胞はXYだがまたある細胞はXXと言った具合に混じり合っていることがあります。

ちなみに、XOはX染色体一本のみが存在することを示すものです。X染色体を持たない受精卵は死んでしまうためYOの個体は存在しません。

遺伝子の性

性別を決定づける遺伝子であるSRY遺伝子の有無をいいます。

通常はY染色体にこの遺伝子が載っています。従って、染色体の性に一致することが多いです。

しかし、何らかの理由でY染色体に載っていないこともありますし、載っていても壊れていることがあります。

また、X染色体や他の常染色体にSRY遺伝子が載ってしまっているケースもあります。高校の生物の教科書には相同染色体における遺伝子の乗り換えが説明してあると思いますが、性染色体に対してこれが発生した結果SRY遺伝子がX染色体に載ることになるようです。

性腺の性

卵巣を持っているケース、精巣を持っているケース、その中間形態の性腺を持っているケース、卵巣と精巣1つずつを持っているケースなどがあります。

基本的には妊娠第8週に胎児のSRY遺伝子が発現して性腺原基の精巣化を促せば精巣が形成され、特にそういうことはなくそのまま発育すれば卵巣が形成されます。従って、性腺の性は遺伝子の性に強く影響されます。

ホルモンの性

精巣は活発に男性ホルモンを作るので一般に精巣保持者の血中には男性ホルモンが多く、女性ホルモンは少ないです。逆に卵巣保持者は女性ホルモンが多く男性ホルモンは少なくなります。

しかし、個々の事例においては体内のホルモンバランスがどのような形で安定しているかは千差万別です。

内性器の性

子宮・輸卵管などを形成するケース、前立腺・輸精管などを形成するケースなどがあります。

妊娠第9週までの時点での胎児にはウォルフ管とミュラー管が存在します。
第9週の時点に精巣が出来上がって男性ホルモンやミュラー管抑制因子を出すようになっている場合は男性化が発生します。

男性ホルモンはウォルフ管の発達を促して輸精管や前立腺へ変化させます。一方ミュラー管抑制因子はミュラー管を退化・消失させます。

一方、精巣が存在しないなどの理由でこれらの条件が欠けていると、ウォルフ管は自然に退化・消失し、ミュラー管が輸卵管・子宮に変化します。

男性ホルモンが十分に存在するがミュラー管抑制因子が十分で無かった場合などには、ウォルフ・ミュラー管が2つとも発達し、男女両方の内性器を持つ個体が発生することもあります。

外性器の性

陰唇・クリトリスに分化するケースと、陰嚢・ペニスに分化するケースなど。

なお、最近では一般にもやや知られてきたようですが、これらの器官は本来は同じものです。クリトリスが胎児期に肥大化し、尿道が開口したものがペニスであり、陰唇の左右が癒着して袋状になり、中に精巣が移動してきたものが陰嚢です。従ってそのような状態変化の中間形態にあるケースも見られます。

例えば、クリトリスが中途半端に肥大化しペニスのようにも見えるが、断言はできず、陰唇が癒着しかけてはいるが未だに大きく開口しているような場合は男女どちらにも判別しがたいでしょう。

これらの分化を促すのはやはり男性ホルモンの有無です。男性ホルモンが存在すれば、それが遺伝子の発現の流れを変えて男性化をもたらします。それがなければ遺伝プログラムのままに女性化します。

しかし、内性器とは異なり外性器の形成には5α−還元酵素も関係します。

この酵素が欠けている場合、精巣が存在しても外性器の十分な男性化が起こらない場合があります。このような個体は出生時には外性器形態から女性と見なされるが精巣を有しており、思春期の男性ホルモン増加が引き金となって外性器を男性化します。見かけ上、少女が二次性徴によって男性に変化したように見えます。

脳の性

最近では男脳・女脳などといって有名になりました。男女では明らかに脳の構造が異なる部分があり、その差異が男女の考え方の違いなどの要因のひとつであると考えられています。

この差は妊娠第20〜28週のホルモン状態などにより決定され、その後は生涯変わりません。

まとめると、性腺・内性器・外性器・脳の何れもその原型は女性であり、そのままで何もなければ女性として誕生します。胎児期に特定の条件が満たされるとそれが引き金となって男性化を起こすようになっています。その変化には「臨界期」が決まっており、その特定の時期に必要条件が揃っていなければ、それより前や後に条件が揃っても男性化は起こりません。

二次性徴の性

一般的にはホルモンバランスに従います、ホルモン受容体などの問題で全てがそうなるとは限りません。

例えば二次性徴が起こらなかったり、男性ホルモン影響下にあるにも関わらず女性的な二次性徴を起こすケースなどがあります。

ジェンダーの分解

また、ジェンダーは次のように分類されるでしょう

戸籍や出生証明の性

基本的には外性器の形態に従いますが、出生時の判別が困難なケースも相当数あり、後述の半陰陽に対する性器手術の問題をはらんでいます。

かなり制度的な概念なので、個人の心的属性としてここに配置することが適当であるかどうかは議論の余地があるでしょう。しかし、個人と社会の関わりの中で外性器の性の代替として要求されることが多く、それが自他の意識に影響を与えることから仮にここに配置しました。

ジェンダーロール

性別に由来して社会が期待する役割を示します。例:「頼りがいのある男」

ジェンダーパターン

その性らしいとされる仕草や服装などを表します。

ジェンダーロールやジェンダーパターンは文化的な学習を通じて後天的に形成されるので、育つ環境次第で幾らでもバリエーションを持ちうるものです。しかし、成人後など、完全に形成されてしまった後に変更することは一般的に困難で本人に苦痛をもたらします。

性自認と性指向

そして、以上の分類からは少し離れたところに性自認・性指向があります。

性自認

自分がどのような性別であるのが自然であるか、という認識のことをいいます。「自分の性別についての確信」と言い換えても良いでしょう。

一般的には「男」「女」のいずれかになりがちです。「性別は男か女」という迷信が強烈に意識を束縛しているためかもしれませんが、ことによると遺伝子レベルの話なのかもしれません。

男女何れでもない性自認を持つ人も存在します。

どのように決まるかは良く分かっていません。脳の性に従うという説が有力です。

かつては後天的な乳児期の生育環境に性自認の起源を求める説もありましたが、現在ではそれを支持する症例を再検討した結果、どうやら後天的環境の影響は少ないらしいと考えられています。しかし、大部分は脳の性によって決まるにしても後天的環境が全く影響しないと考えるのも不自然かも知れません。今後十分に検討されるべきでしょう。

また、遅くとも生後18ヶ月の時点では性自認は完全に固定され、その後は生涯変化しないことが知られています。

性指向

恋愛対象がどのような人であるかを言います。

大まかに分ければ無性愛(ノンセクシュアル)・同性愛(ホモセクシュアル)・異性愛(ヘテロセクシュアル)・両性愛(バイセクシュアル)の4つになります。

しかし、伊藤(2000)にある「異性愛傾向と同性愛傾向の比率が8:2の人もいれば、3:7の人もいる」という説明の方が正確でしょう。

100%同性愛の人も100%異性愛の人も稀であると思われます。大抵は2:8程度で圧倒的に異性愛傾向が強いので自分の中の同性愛傾向を無視して生きていても余り苦痛でなく、結果、生涯同性愛傾向を開花させないケースも多いようです。

精神状態の変化や環境によりある程度の揺らぎは見られるものの、基本的には生涯変化しません。むしろ、揺らぎの部分は隠れていた2割が出現したり隠れたりすることによると解釈しても良いのではないかと思います。

性指向を「性嗜好」と記す場合もありますが、「個人の好みの問題」「趣味の問題」といった相対主義の中に同性愛者への差別問題の本質が隠蔽されがちなこともあり、最近ではその表記は避けられています。性指向は個人の好み云々といった生やさしい問題ではありません。純然たる異性愛者の男性が生涯男性に恋愛することはないのと同様に、純然たるレズビアンであれば生涯女性にしか恋愛をしません。他の指向を持つ場合もそれぞれ同様です。

パラメータの独立

以上のそれぞれのパラメータは微妙に連動しつつも、結局は独立に変動しうるものであす。数学の言葉で言うなら(中学校数学の統計の章を思い出してください)、「ある程度の相関を見せるパラメータもあるが、全体としては相関係数は小さい」と言えるでしょう。

関連の強いもの同士をまとめて、もう少し大まかに「染色体の性」「身体の性」「ジェンダー」「性自認」「性指向」という様に分類すれば、この5つはほぼ完全に独立に動くものとして考えることができます。

何れも連続量ですのでバリエーションは無限にありますが、仮に「男」「女」の二値のみをとると仮定しても組み合わせは32通りです。

性別パラメータの組み合わせ
パラメータ1234567891011121314151617181920212223242526272829303132
○: 女性, ●:男性
染色体の性
身体の性
ジェンダー
性自認
性指向

所謂「女」、所謂「男」は2番と31番です。バリエーションとしては32通りの中の2種類でしかないですが、量的には人口の80〜90パーセント(境界線の引き方や統計により異なる)を占める多数派です。

それにしても、10人に1人〜5人に1人という例外の存在は「女か男」という無邪気な二分法を無効ならしめるに十分な数字ではないかとも思います。

喩えて言うなら性別決定はドミノ倒しの様なものです。それも、ドミノ倒しのギネス記録に挑戦するが如き長大で複雑な過程です。幾度も分岐し、合流してゆきます。

ドミノが1つも倒れない状態が女性で、全て倒れた状態が男性にあたります。

最初に倒れるドミノに相当するのはY染色体上にある筈のSRY遺伝子です。が、SRY遺伝子がなかったり、壊れていたりして、うまく倒れないこともあります。

倒れ始めたとしても途中の分岐の幾つかは倒れないで残ってしまうこともあります。逆に最初のドミノは倒れなくとも、何かの拍子に誤って途中のドミノだけが部分的に倒れてしまうこともあります。

斯くして、多様な性別の状態(ドミノの倒れ具合)がもたらされるのです。

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どのように評価すべきか

現実問題として、一般に言われる男女二分法の「性別」の何れにも、科学的に言って適合しない人間が十分な数存在することは事実です。さて、事実を事実として認識した上で、それをどのように評価すべきかが問題です。二分法に該当しない少数者は人間として正しい在り方なのでしょうか。それとも、矯正すべき病的状態なのでしょうか。

ジェンダーに関する議論は多分に文化論的であって、社会・風俗・宗教に対する依存性が高いのでここで安易に一般論を述べることはできません。これに関する議論は先延ばしすることにして、仮に上表の6,27番を2,31番と同一視します。さて、この条件の下で2,6,27,31番以外をどう考えるべきでしょうか。

1つ明らかなのは、「生物学的に」正常なのは2,6,27,31だけということです。人間の正常な遺伝子が正常に発現する限りにおいて、これ以外の狭義の性的少数派(Sexual Minority)は発生しません。

連続に分布する事象に対して「正常」「異常」の線引きを行うことは困難な問題を伴うし、安易に「正常」「異常」の語を使用することが差別を助長しかねないので、このような表現は避けられる傾向があります。しかし私は敢えてこの表現を用いた上で次のように主張します。

生物として異常なことは、必ずしも人間として異常であることを意味しない

人は生物として生きるのみでなく、同等かそれ以上に他との関連を持つ社会的存在、人間意識をもつ精神的存在として生きているので、人間存在としての正常/異常を言うにはむしろその点にこそ注目すべきでしょう。「人はパンのみにて生くるに非ず」。

28種類の異常個体は現実を認識し思考するすることが困難になっているわけではないし(むしろ困難になっているのは正常個体の方かもしれません)、明確な人間意識をもって存在しており(当然!)、一般にその生物学的異常性それ自体が社会適応を阻むものではありません。

そして、このような個体はヒト種の中に必然的に発生するエラーであって、それを防止することは難しいということもあります。加えて、それを後天的に改善することは非常に困難もしくは不可能であって、可能であったとしても本人に多大な苦痛をもたらします。その苦痛の果てに得られる結果は「洗脳」とか「ロボトミー」と呼ばれる状態であることが知られています(性自認・性指向は人格と分かちがたく結びついているので、これに干渉することは人格を崩壊させかねないのです)

更に言うなら、このような個体の存在自体が他者の権利を侵害するものではありません。

まとめるならこういうことになります。

故に私は、人権思想を信奉する者として、また同時に当事者として、性的少数派は人間の正しいバリエーションのひとつとして認められるべきであると考えます。

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性同一性障害とは

性同一性障害(Gender Identity Disorder: GID)とは、上表の3,4,7,8,17,18,21,22にあたり、染色体の性と身体の性は一致しているが、それらと性自認が一致しない状態を言います。

より正確な定義を、『性同一性障害に関する答申と提言』より引きましょう。

性同一性障害とは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているのかをはっきり認知していながら、その反面で、人格的には自分が別の性に属していると確信している状態」と定義される。

「生物学的には完全に正常であり」とは、9〜24などのインターセックスを除くことを意味します。インターセックス者の場合性自認は様々であり、身体の性と一致しないこともありますが、これについては別個に治療の対象となりうるので特に性同一性障害とは呼びません。

補足: インターセックスに対する治療態勢が十分でないことが判明したため、日本精神神経学会による治療ガイドライン第2版では、このあたりが修正されました。インターセックスの場合にも、解剖学的な身体構造と性自認が一致しない場合、治療ガイドラインに基づく性同一性障害治療の対象となります。

また、「別の性に属しているという確信」は妄想や詐称でないことが要求され、妄想・詐称を除外するために精神科医による次の診断が要請されます。

  1. 精神分裂病、人格障害などの精神異常のために自己の性意識(gender)を否認するものではないことを明らかにする。
  2. 文化的、社会的理由による性役割の忌避、職業的利得などのために別の性を求めるものでないことを確認する。

要するに、次のようなことを意味します。

この除外条件の何れでもないにも関わらず、なお身体と性自認の不一致を訴える場合を性同一性障害といいます。

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参考文献

  1. 野村進: 脳の欲望 死なない身体, 2001, ISBN4-06-256534-X
  2. 成田文広: 研究紀要「女子学園と性的マイノリティ」, 1999.
  3. Simon LeVay: The Sexual Brain, 1993, ISBN0-262620936. (新井康允:脳が決める男と女 性の起源とジェンダー・アイデンティティ, 2000, ISBN4-8306-0217-1)
  4. 伊藤悟: 人間の数だけ生き方がある, 2000, ISBN4-88346-060-6
  5. 日本精神神経学会・性同一性障害に関する特別委員会:性同一性障害に関する答申と提言,1997
  6. 山内俊雄:性同一性障害の基礎と臨床, 2001, ISBN4-88002-431-7

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