2002年07月


目次


2002年07月28日

世界は呪われている

世界は呪われている。
世界は呪われている。

水素核反応の焔は、私を焼き焦がす硫黄の焔。
立ち昇る熱気は、私を蝕む硫黄の瘴気。

神に追われた異端者の流刑地――それは地上。


栄里嬢と歩いていたら、あまりの暑さに思わずこんな詩を口ずさんでしまいました。温暖湿潤気候の夏の昼間など、人間が生きる環境じゃありません。

日光は嫌い。特に朝日は嫌い。星月夜と黄昏と雷雨だけあればいい。あとは要らない。


2002年07月08日

「数学と哲学」

再びアクセスログのネタを。

アクセスログを見ていたところ、神名龍子氏のページ経由でのアクセスがあったようだ。見ると、そのページの中で、このサイトについて触れられている部分があった。大変光栄であるし、驚いた。

そのページで語られている「数学と哲学」の問題は、私が少し心惹かれながらも、「当面は数学を優先」と思ってついつい後回しにしているものでもある。非常に興味深く読ませていただいた。

私は以前は物理学志望だった。しかし、物理で多用する「(1+e)^d = 1+ed (if e<<1)」にどうしても馴染めなかったことが発端となって、次第に数学へと興味が移っていった。

思えば、幼児期は生物学志望。小学校低・中学年の頃は化学志望。それ以後は物理学志望。そして今は数学をやっている。それも、当初は解析学に関心があったが、今はかなり基礎論寄りだ。確実に私の関心は基礎分野へ向かっている。この分ではいつか哲学へ至るのは必然なのかも知れない。

そう言えば、そのページでは私が安易にスタンスは近いものを感じると書いたことに対してしっかりチェックが入っていた。私としては「自らT'sであることを理由に思考停止することを拒む」という程度の意味であり、それ以前に私が見た幾つかのT'sサイトへの不満表明以上のものではなかった。

考えてみれば、その程度の考えでおこがましくも「近いものを感じる」と書くのは、あれだけ思索を深めている神名氏に対して些か失礼であったかも知れない。

「意見もスタンスも異なるが」、私は神名氏を尊敬している。そして、私が数学を続けるのか哲学へ至るのかは未だ分からないが、私は私の道を行こうと思う。


2002年07月06日

性同一性障害治療に関する倫理的議論の必要性

性同一性障害について | 治療の目的と方針の項で、性同一性障害の治療のために身体の性を改変することについて医療倫理上の議論の余地があると述べた。

極めて単純化して言うならば、その議論の余地とは次の2つの視点の間のジレンマである。

  • 本人の主体的選択に依らない(従って本人の責任ではない)、先天的(または凖先天的)で不可避な事象により、理不尽な状況に置かれ、生涯絶え間なく苦痛を感じ続けなければならない人がいる。それを解消する医療技術が存在するならば、その技術を行使するべきではないか。
  • 身体の性というものはヒトという種それ自体に深く関わっているものでもあり、それを人工的に変更することは避けるべきではないか。

これについては、十分な議論が為されているとは言いがたいものがある。

例えば患者は、前者については全面的に肯定する。後者については、(理由は各個人で異なるが)多くの場合問題ない考える。

ガイドラインなどにみる医療関係者の主張では、前者を全面肯定し、後者については判断を保留している。哲学、宗教の方面からより深い議論が為されることを期待するとしている。

一部宗教家は、神の与えた試練に人は耐えるべきであるとして前者を否定し、後者を肯定している。

感情的反発をしている一般的市民の場合、その主張は「認めたくないからその治療は認めない。何故ならば認めたくないからだ」というものだろう。その背景には、前者の主張の中で語られているような諸々の事情をよく理解していなかったり、誤解していることもある。

一方、最近は性同一性障害者に理解のある市民も増えてきている。しかし、彼らの場合、当事者による働きかけを通じて前者は理解しても、後者の問題について深く考察してるかどうかは分からない。

特に、感情的反発者はまず理性的に科学的事実を知る必要があるし、その上で既成観念による結論先行を避けて考察する必要がある。一方、当事者や医療関係者はそれを助けるべく、穏やかに根気強く説明を繰り返す必要がある。また、当事者は「故なくして苦しめられているから助けて欲しい」という論理に結論を引きずられることなく、冷静に後者の問題を考察しなければならない。

……と言っても、現状では難しいものもあるだろう。恐らくは、今後10年、20年を掛けてゆっくりと進められるべきだろう。

どんな結論になるにせよ、私はきちんとした倫理的議論が為されることを望む。

私が精神療法以上の治療を受けなかった場合、現在の状況から考えて、恐らくは次第に鬱状態が多くなって社会生活は困難になり、場合によっては自殺に追い込まれることも考えられる。しかし、もしきちんとした議論の上で「倫理的に身体の性の改変は望ましくない」ということに納得したならば、私はそれに殉じる。その時には喜んで破滅しようと思う。

どんな結論になるにせよ、私はきちんとした倫理的議論が為されることを望む。


2002年07月03日

償い

追いつめられた人に残された、僅かな逃げ道を否定するようにもとれることを言ってしまったとき、それをどうやって償ったらよいだろう。

せめて、そういう風には解釈しないでくれていることを願うけれど、もしそう解釈してしまったなら、私はどうしたらよいだろう。

そうやって、少しずつ苦しみを逃がしていくことがどんなに大切か、私は知っていたんだに。

「我らに罪を犯すものを我ら赦すごとく、我らの罪をも赦し給え」と祈ることは大切だ。しかし、それを口にするのみで何か形にしようと努めないならば、その祈りは虚しい。

「主よ、我が罪に立ち向かう力を与え給え」。私は私の罪の前に無力かも知れないけれど、それでも何か私にできることを探し続けようと思う。

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