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2005年01月13日

私にできること

鬱の状態は相変わらず良くない。この前わらびメンタルクリニックに行ったときに塚田先生は、「先月はこれはちょっと危ないと思ったけど、今日はいくらか良い感じ」と言ってくださった。でも比較の問題であって、今も決して良いわけではない。薬無しでは、朝、自分の力で起きあがることすらできない。腕も持ち上げられない。薬に頼って、今の私のすべての物理的活動、精神的活動がある。

性別違和も、良くはない。それは以前よりは遠くにある。遠くにあるけれども、でもその嵐の音はいつでも微かに聞こえている。私が気を抜けばいつでもそれは吹き込んできてあたりを掻き回し、私という存在さえ消し飛んでしまいそう。確かに、前よりも遥かに込めている力は弱いもので済む。でも、それはそこにあるのだ。どうしてこうなのかと途方に暮れる。何かが違う。何かがおかしい。そして、諦めなくてはいけないたくさんのもの。

数学の勘は相変わらず戻らない。私たちにとっては基礎中の基礎であるイデアル、あの可愛かったイデアル。それが今は私の中で死んでいる。かつては生き生きと数学の抽象空間を泳ぎ回っていた美しいそれが、今は無味乾燥な定義としか感じられない。ゼータは生きていると言う。今はそれに肯けない。

では……、私は不幸か。それは違う。私は幸せと感じている。私は類い希なる幸運に恵まれていると感じている。大切な人たちに会えた。GIDやら鬱症状やらについても周囲の理解を得られている。これってなかなか得難いことだ。何よりも、充実している。新しいプロジェクトは刺激的だ。思うたび、この日々に感謝せずにはいられない。辛くはあるしそれを改善したいと願って実践もしてきたけど、でもそれと幸不幸は別の問題なんだな。やっぱり、苦楽と幸不幸は本質的に独立した問題なんだな〜。たぶん。

あぁ。そして、それでも、時として思い知らされる。この世には不幸ってものが厳然として存在するということ。例えば、身近にそういう何かを見てしまったときに。

私が持っているものを分かち合って、それで一緒に幸せになれるならそれでいい。でも、私にはどうすることもできないことというのもある。ただ見ているしかなくて、私の無力さとを感じてはやるせない気持ちになる。、そして普段私が如何に自分の幸運にあぐらをかいているのかを感じては情けない気持ちになる。

私にできることは少なく、でもそれはゼロではなく、だからそれをなすべきであり、そして感謝するべきなんでしょう。という話。



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2005年02月21日 20:50

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