2005年07月


目次


2005年07月31日

coLinuxの自動起動・自動終了

カーネルの再構築も終わり、大体使い方が固まってきたのでここらでNTサービスとして登録することにする。



coLinuxカーネルの再構築

さて、coLinuxをインストールしたのであったが、CP932が組み込まれてないせいでエラーが起きてたり色々いやな感じなので、自前でカーネルを再構築する。



2005年07月30日

薬増量 - irrational

今日は調子が悪かったのだけれど、とにかく病院には行かなくちゃ薬も無くなるので出かけてきた。トレドミン25mgが1日3錠に増えた。他は変わらず、パキシル10mgが2錠、メイラックス1mgが2錠、メデポリン0.4が1錠。

でももう駄目だ。この体は上手く動かない。家の中でのちょっとしたことさえできない。その分のしわ寄せは母に行ってしまう。もうただ周囲に申し訳ないのと、思うとおりに活動できない思考がまとまらないのが情けなくて、私は死ぬべきだと思った。

そして、思った瞬間、口うるさい「私」が表に出てくる。私が死ぬべきだと思った理由を分析して批判して自動的に論破していく。結果論からすればこれはポジティブに作用しているし、ある種のバランス紀行には違いない。でも、勝手に私の中から沸き上がってきて私の表層の感情に介入し平衡状態をもたらし、嘗ては無感覚をすらもたらし、私をして私の解体を目論ませたこの精神的習慣が、私はたまらなく嫌いだ。その正体が分からないが故に恐怖する。

そして、最早その癖を持ってすら長くは制御しきれないほどになってきている鬱症状も忌まわしい。

小さい頃の破滅の夢を、今からでも追いかけてもいいだろうか。そんなことをふと考えてしまう。


2005年07月29日

coLinuxのインストール

coLinuxが最近ずいぶん安定してきたらしいので入れてみることにした。

現在、めでたくWinXPとDebian sargeがデュアルブート可能になっている。ここでcoLinux 0.6.2をインストールして、デュアルブート且つWinXPからcoLinuxとしてもDebianを利用可能という状態を目指す。

主に次の資料を参考にした。




2005年07月27日

HibernateのSession#update(Object)

会社で他人のコードを見ていて良く見る勘違いだが、Session#update(Object)というのはそうそう使うメソッドじゃない。Hibernateのsave/updateはそのままSQLのinsert/updateに対応するわけじゃないのだ。



2005年07月24日

Debian Sargeのインストール

いつぞやのパーティションテーブル破損以来WIn XPのみで運用していたけれど、いい加減不便なので再びdual boot化した。



2005年07月23日

本日のお買い物

ようやく、病状もいくらかましになって歩けるようになったので、病院に行ったついでに気晴らしにお買い物してきた。これで明日はのんびり休めば月曜日は無事出社できるだろう。多分。

この前は服をどっちゃり買ったけれど、今日は本をどっちゃりと。



うつ病開発者

私の職種は所謂SEなんだろうか。なにぶん零細企業ゆえ、そんなに分業してる余裕も必要もなくて、当然コーディングもテストも手を出してるけど。うつの病状が芳しくないので会社には迷惑を掛け通しだけれど、こんな状況なればこそ見えてくるんじゃないかとふと思った。



2005年07月20日


2005年07月19日

ブックバトン受け取り

さぼさぬけ嬢からブックバトンが回ってきてるよぉ。機能のアクセスログ解析で初見のリファラを見つけたのでみてみたら……。あちらのログは7/13になってるね。14日のログにもあったけど見落としてたみたい。やっぱり、analogを掛けるだけじゃなくて、まじめにデータマイニングするかなぁ。いろんな手法を研究しとけば本業にも役に立ちそうだし。

今日は私はお休みの日なので、のんびりとピアノの練習したりTomcatのソースコード読んだりしてたところだけど、ちょっと面白そうなので蔵書の数数えてみよう。では後ほど、結果をレポートいたします。


2005年07月18日

Hibernate3のDetachedCriteria

Hibernate3で導入された機能のうち、私が差し当たって一番注目しているのはDetachedCriteriaだ。Annotationも興味深いけれど、設計の方向性としてちょっと疑問を感じる部分が無いではないのと、業務での開発がTigerに移行するまでもうしばらくかかるから、後回し。

さて、DetachedCriteriaだ。OOPLにおけるデータ検索APIとしはて、これがあって然るべきだったんだよなー。うんうん。検索っていうものをビジネスロジックにおける一過程に過ぎないと捉えれば、確かにcriteriaはセッションに依存したテンポラリな存在であっていい。多分これが従来のCriteria Queryの立場で、HQL QueryをOO的にする薄いラッパーみたいなものに過ぎなかった。

Javadocには単に「セッションが手に入らないときでもCriteriaを構築する必要がある場合」に使うって簡潔に書いてある。確かに、機能だけ見ればこれはSerializableだし、セッションを超えたレベルでCriteriaを持ち運び、使用して、また持ち運びっていうそういう使い方をするものに過ぎない。でも、単にライフサイクルの設計が悪い場合やフレームワークの都合上やむを得ない場合を除けば、この機能が必要になる場合ってどういう場合だろう。それって、検索条件って言うもの自体に操作対象としての重要性があるような場合において、こういう機能が必要になるんじゃ無かろうか。検索条件っていうものが、トランザクションを超えて、セッションを超えて、永続化の対象にすらなりうるような場合に。 うまくいえないのだけれど、私はDetachedCriteriaに何か「高階性」を感じている。きっとそういうものなんだろう。もう少し使い込んでみれば、もう少しはっきりしてくるかも知れない。


ピアノとお華

私の意識のコントロールを外れたところで否応なく自己というものを見つめさせられるようなものは、久しく苦手としていた。性別違和を忘れて社会生活を送っていくには不都合だったからだ。社会に適合的な仮面を維持して生きて行くには、その仮面の下から私を汲み上げてさらけ出す作用は独り相撲ににた疲労をもたらした。そして、忘れたい苦痛を思い出させるものに他ならなかった。

コントロール不能な深い内省。それをもたらす趣味は封じた。ピアノやお華がそうだった。それは私の奥深くにあるものを形象化し、私の眼前に突きつける。先週、ようやくこれらの趣味を再び始めることができた。本当に久しぶりで、随分鈍ってはいるけれど、でも開放的な気分を味わう。私が存在することへの自縛をまた1つ、解除したということなんだろうか。


2005年07月16日

宗教のような

blogの目次を見ていて思った。記事タイトルが

  • [2005.07.16] 幸せの用語法
  • [2005.07.12] 千年王国

って並んでいると、なんか新興宗教っぽいイメージになるなー。

せっかく優良サイトを作ってくださっている千年王国のNoelさんに申し訳ない。


単語ベースのフィルタリングの無力

前々から研究結果がまとまったら公開しようと思っていた問題の1つにキッズgooがある。要するに子供向けの検索エンジンで、しかも検索結果に年齢層に応じたふりがなを振ってくれるというおまけ付き。ふりがなはふりがなで同一性保持権あたりがどうなんだろうと疑問に思わなくもないけれど。

でも、何よりもこのサービスが問題なのはフィルタリング機能にある。内部に保持する有害語リストにマッチすると、対象サイトを「教育上よろしくないサイト」と見なして「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」と表示するのだ。

今日、ネットを徘徊していたらキッズgooはじかれサイト同盟なんてのを見つけたので、良い機会だし、未完成だけど、私の実験の中間報告をしてみる。なお、似たような実験で興味深い報告が妖精現実フェアリアルにあった



飲み会

昨日は取引先のお姉さまがたとうちの会社との飲み会だった。普通にパスしていたらしいけれど、特にカミングアウトしても関係悪化とかそういう状況にはならなそうな雰囲気なので、頃合いを見てカム。ちょっと話題にはなったけれど、でもだからどうってわけじゃなし。そんなもんですよ。

私はこうして積極的にカムするけれど、普通にパスして戸籍も直して埋没して生きたい人はそれはそれで正しい。彼らに私のやり方を押しつけるのは間違ってる。その辺、誤解無きよう。

さて、当然の事ながら、飲み会では他の話題もいっぱい話した。相手の方が仕事の理想を語っていたのにはちょっと共感もしたりして。まぁ、基本的には世間一般のよくある飲み会だったので話の中身を詳しくは書かないけれど、GIDの話題なんてほんの一部。

GIDの辛さのあまりそれしか見えない視野狭窄には陥らないように気を付けている。でもともすれば視野狭窄に陥ってしまうほどに当事者は辛いのだと言うことも知ってもらいたい。私の場合だって、2年ほど前はそうだったし。診療の甲斐あって、他へ目を向ける余裕も出てきた。これが「葛藤を軽減する」ってことだね。多分。


幸せの用語法

少し前に書いた人生における敗北という記事と、そこにtrackbackを送ってくださったredcatさんのWin? or Loss?という記事と、似た主題を扱っているのだけれど用語法が微妙に異なる。単に私の用語法が少し変わっているだけかも知れないけれど。このあたりの思想をちゃんと勉強している人が見たら怒られるかも。

そのへんを明確にするためにちょっと自己問答をやってみたい。



2005年07月12日

千年王国

のえるさんという方の千年王国というサイトの記事は、性同一性障害について要領よくまとまっていて読みやすい。詳細資料への参照も十分なのでここから読み進めて勉強するのに良さそうな感じ。

Wikipediaの記事をいくつか参照/引用なさっていて、私がContributeした記事も含まれてるけど、のえるさんの素材の使い方がうまいからWikipediaにある原文だけ読むより掴みやすいかも知れない。悔しいけど。

私が書くと、やっぱり思い入れがあるだけにどうしても力みすぎになってしまうのだよね。うちのサイトの記事も、ちょっと構成を考えないといけない。


行方不明のソースコード

えっと、4月に作ったウェブアプリケーションのソースコードが行方不明です。というか、「最新版はどれ?」っていう状態です。普段ならもちろんバージョン管理システムでばっちりなんです(うちはSubversion使ってます)が、あのときは。



2005年07月10日

三列収納書庫

あ、michyさんが買った三列収納書庫、私が買おうと思ってるのと同じだ。そうそう、収納スペースの有効活用が魅力なんだよね。見栄えも割といいし。

お金はないけど、早いところ買わないと部屋が本で埋もれる……。すでに本棚に入りきらないコミックと理工書の山が6つできてる。


EBNF立法論

法律を読むのが好きだ。ソースコードと同じで。Code Readingの帯の煽り文句が「コードは小説よりも面白い」でしたが、「法律は小説よりも面白い」……こともある。



2005年07月09日

SEのフシギな職場

SEのフシギな職場―ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条
SEのフシギな職場―ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条

ASIN:
4774118877
作者:
きたみ りゅうじ
出版社・メーカー:
技術評論社
発売(予定)日:
2003-11
定価:
¥ 1,554
Amazon内売上順位:
246,085
評価:
4.14

古本で安かったので買ってみたけれど、……ああああぅ。私、ダメな先輩だ〜。無茶苦茶耳が痛いです。耳が痛いってことは耳を貸す価値有りってことでもあるから、買った甲斐はあったのだけれど。

ついつい感情的に怒ってしまったり。いや、ちょっとやることが甘かった後輩に、あそこで叱っとくのは正しい対応だったと思う。けれど、あのとききつい口調で言ってしまったのはその辺をちゃんと考えた結果じゃなくて、単にバグがなかなかとれなくてイライラしてたからなんだよね。単に無関係な人に八つ当たりしただけで。そういうのって、多分伝わるんだよね。本当に本当によく言われることではあるけれど、怒るのと叱るのは区別しなきゃいけない。私は怒りたいときに叱るべき場面があったからそれを利用しただけだ……。

良い後輩なんだよ〜。前に、難しい部分は私がテンプレート化したり資料作ったりしてサポートしつつ、ちょっときつめの作業を割り振ってお勉強してもらおうとしたことがあった。でも、私の「難しい部分のリストアップ」に漏れがあって、彼女には相当きつかったはずなのに、ちゃんと調べて、それなりに何とかしてくれたものね。あーうー。週の半分ろくに歩けもしない私よりよっぽど立派だよー。

まぁ、私の病状は今は仕方ないと開き直るとしても、とにかく、後輩の教育ぐらいはきちんとできるようになりたい。ならなきゃなー。


2005年07月08日

cygwin bashからstartを使う

Windowsの場合関連づけに頼りすぎで、必ずしも普段使ってるプログラムにパスが通ってるとは限らないわけで、そんな場合にコマンドラインからどうするかっていうと、startコマンドを使うわけだ。

ただ、startがWindowsコマンドプロンプトの組み込みコマンドなおかげで、生憎とcygwin bashの中からだと使えない。そこで、

#!/bin/sh

cmd /c "start $*"

こうするわけ。これを/usr/bin/startとして保存しておけば、めでたくbashからstartコマンドが使える。

パスの変換を施してないので、相対パス以外受け付けないと思われるが、私はそれしか使わないので。必要ならcygpath -wを組み合わせてなんとかしよう。


パニック発作

昨日会社で帰り際に発作が起きた。脈拍は200近い。とりあえず薬を飲んでしばらく机に突っ伏していたら良くなってきた。


人生における敗北

今までも何度か、書いたことがある。

私の人生は失敗であり、敗北であった。私は決してこの人生に納得することはないであろう。どうして、GIDという状況下に生まれたのか。どうして、GIDに対してもう少し理解の進んだ世に生まれなかったのか。あるいは、どうしてGIDが何のハンディキャップにもならないほどの圧倒的な才能を持って生まれなかったのか。あるいは、どうしてGIDというハンディキャップの下では到底生きてこられないほどに無能/不幸ではなかったのか。

私はこれに納得しない。

生きれていれば良いことも悪いこともある。しかし、この一瞬一瞬に積み重なる性別違和の下での生活という悪いこと――マイナスの前に、一生に間に体験できるプラスがいかほどのものであろうか。そもそも、プラスはマイナスをうち消すのか。良いことがどれだけあったとしても、起こってしまった悪いことは消えはしないというのに? だから、私が納得できないマイナスが存在した時点で私の人生は私にとって"無かったほうがましなもの"であり、失敗であり、敗北なのだ。

……で? それが何だと言う? 敗者は潔く舞台を去れなどと誰が決めた? 敗北が確定しているなら、あとは勝とうと足掻く必要もなく、、ただ楽しんだ方が得ではないか。この人生が無かったほうが遥かにましだったが、その点については最早取り返しがつかない。今この瞬間に死んだところで生まれなかったことにはならないのだから。だったら、生きているが故にできる楽しみを味わったほうが得ではないか。プラスはマイナスをうち消さないが故に私の人生は敗北だったが、マイナスもまたプラスをうち消さないが故に私が生涯不幸であるなどとということはあり得ない。敗北が確定したなら、残りの人生は余生ではないか。余興だ。好きに生きればよい。取り返しがつかないならば、取り返そうとしなくて済む。気楽である。自由である。これより後は、私が法だ。

4年前の夏、このままGIDという問題を見据えずにただ迫ってくる苦悩から逃れるためにアルコールに溺れて死んでいくのか、それとも、GIDを受け入れて生きるのかを、決断した。その決断から演繹される結論は以上である。

さて、そのもとに、私は私の残りの人生=余興の中で成すべき目標を次のように定めた。

長期的目標

私にとっての正義を実現すること

戦略

私の目の前に横たわる不正義とは、性同一性障害者に対する抑圧、選択肢の限定、だ。よってこれの改善の一助となる。

戦術

私にできることなどたかが知れているが、私がGIDを受け入れて生きれば、その道筋は自ずと当事者にとっての1つの人生モデルを提示することになる。選択肢を少しでも増やすことになるだろう。故に、私は"やりたいことをやって生きる"。

また、モデルの提示を進めるために、ネットワークの危険性を鑑みて差し支えない範囲で、私の日常を積極的にネットワーク上に暴露していく。

中期的目標

私は刺激的なことが好きだ。私はエキサイティングに生きる。

戦略

今の会社のマネージャーに出会えたことは幸運であった。ソフトウェア開発のリーダーとしてたぐいまれな才能を持つ。そして、近い将来、起業も考えているらしい。こういう人が大成する手伝いをできれば、きっとエキサイティングだろう。これまでもそうであったように。

戦術

努力を惜しまず開発者として研鑽し、彼の成功を手伝えるだけの実力を維持・増強する。そして、そのステップである目の前のプロジェクトを確実にこなしてゆく。

また、現在足かせとなっている鬱・パニック障害を何とかして改善する。

短期的目標

プロジェクトをこなし、鬱に負けないために、日々、ストレスをためない生活をする。

戦略

先のことは分からないのだから深刻に考えずに気楽に楽しく生きる。

戦術

楽しいこと、やりたいことをやる。つまらないこと、やりたくないことは可能な限りやらない。

目の前の楽しみを我慢しない。食べたければ食べる。買いたければ買う。勉強したければ勉強する。家訓に曰く、「食べるときはただ味わうべし。痩せる方法は後から考える」

-->私は飽きっぽいので、1つの楽しみにだけ囚われて他が見えなくなる心配はないし、食べて太ってもこんどはダイエットしたい欲求に身を任せれば良いだけだし、買い物にも飽きっぽいので遣いすぎる心配はないし、働きのが好きで仕方がないので怠惰に陥る心配もない。したがったこの方法は妥当と考えられる。

要約

私にとっての正義を実現するために、私の近視眼的欲求を満たし続ける。深くは悩まない。先のことは考えない。ケ・セラ・セラである。

もっと短い要約

"私が法だ"

  

2005年07月05日

ratio - irrational

秩序あるいはジェンダー規範とそれに基づく諸制度と、そして運命。それに対する怒りは私の中にくすぶっている。しかし、無批判にその感情に従うことが正しいとは考えられない。

GIDをしてマイノリティたらしめているのは既存秩序だ。それが無知と認識の欠如によるものであったとしても、性同一性と身体とが一致するという経験則の無責任な一般化とその上に構築された文化と秩序とがGIDをマイノリティとしている。

この文化と秩序に対する態度は人それぞれだ。

非GIDであって、自己の性同一性に自己のアイデンティティを強く拠っているような人は、この秩序を自明と見なし、そこからの逸脱やそこへの批判に反発するだろう。身体やジェンダーロールから離れた性同一性の概念それ自体が理解不能であり、そこへの批判的な分析も科学的な考察も受け入れがたく感じるだろう。彼らにGIDを少しでも理解してもらうための方便として「心の性と体の性の不一致」という表現は有効に機能してきたと思われるが、同時に誤解の拡大をも産み、また一部ではより強い反発をも招いてきたと思う。

GID当事者であって、この文化の中で自己を自己として存在せしめることをすら抑圧されてきた人の中には、この秩序の抑圧的な側面にのみ着目してこれを破壊することで問題を解決しようとする人もいるだろう。例えば、性差廃絶主義者だ。あらゆる性差を否定し、かつて性別に応じて規定されていたジェンダーパターンが無秩序の中に放散してしまえば、表面的にはGIDの、少なくともTGとよばれる集団への抑圧は消滅する。というよりも、TGという概念自体が消滅するだろう。しかし、それは自己の身体そのものへの違和感を強く感じているTSと呼ばれる集団にとっては問題の解決ではないし、問題の隠蔽になるかも知れない。それは文化の破壊でもある。そして、一般に信仰されているよりもより狭い領域に限られるにせよ、アプリオリな性差が存在する以上はそれをも否定することはGIDへの抑圧と同様に反自然にして不当であると考える。

また、この秩序に組み込まれることを望む当事者もいるだろう。例えば、意識的に性同一性に合致したジェンダーロールを演じるタイプの人がそうだろう。この秩序においては、両性の間に存在するギャップを乗り越える(「トランスする」)ことに成功しさえすれば、セクシュアル・マジョリティに対して機能しているのと同様、「私は女/男である」という自己規定に基づく自己同一性維持への文化的支援を享有することができる。TGの多くが日常に感じているような(そして非当事者がなかなか意識しない)、日常生活のあらゆる局面における性差確認の儀式・慣習が内面化されたジェンダー規範の機構を通じて自己存在の維持を助けてくれる。性同一性に合致しない生活の中では存在を否定し消滅させようと作用していた力が、方向を変えて、本来の設計通りポジティブに機能してくれる。

そしてまた、組み込みを批判する立場もあるだろう。"性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律"を「既存の男-女概念への当事者の再吸収、およびそこから外れる者の排除を目指している」と批判する意見などはそうだろう。あるいは欧米に比べて日本では"Transgendered"ではなく"Gender Identity Disorder"という概念が強調されるのは何故かと問う意見もそうかもしれない。広範なTransgenderedの広がりの中で、男-女の二項に基づく言葉で説明可能な者だけを"Gender Identity Disorder"と規定し、それによって既存秩序を本質的なところでは温存しつつ、その為に説明不可能な者たちを見殺しにしようとしてはいまいか、と。この立場は、秩序の破壊を目指してはいないのだと思う。無秩序への放散は求めていない。秩序のより妥当な拡大を求めている。しかし、保守的立場から見れば現在の秩序がそのままに継続することを妨げるという点では同じだろう。

私はそのどれにも与することができない。超保守的な立場に賛同できないのはは当然だが、それ以外の立場と私の考えがどう異なるのか、まだよく分かっていない。直感的に、それは違うと感じるだけだ。

性差廃絶主義に通じかねないような、破壊的な復讐感情はあるが、そういう極端な立場には賛同できない。でも、この感情を極端な廃絶主義につなげない形で建設的な批判に変えていく方法だってあるはずだ。それでも、そういう立場ともまた私の考えは異なるように感じる。何が違うのか、まだよく分からない。


2005年07月04日

kusu2

Seasar2のひがさんがkusu2の本を出すそうな

会社で使ってみて、結局SpringよりS2のほうが、変則的な開発にも適用が楽という結論だった。Springはそもそもが単なるDI+AOPというんじゃなく、もっと広いフレームワーク化を視野に入れてるっていうのもあるんだろうけど、モジュール構成がうちのプロジェクトになんかしっくり来ないんだよね。うちがいわゆる典型的なJ2EEアプリケーションじゃなく、変な物ばっかり作ってるからかも知れないけれど。

フレームワークである、IoCであるっていうことは、何かを押しつけられる代わりに何かが楽なるということだから仕方がないのだけれど。押しつけられるものとの相性の問題だろうか。好きじゃないプロデューサーにハリウッド原則されるのは嫌だって言うことか。あとは個人的にコンストラクタインジェクションが好きっていうのもあるけど。

そういうわけでS2方面にアンテナを張ったり、LLDNに期待したりしながら、プロジェクト第一次リリース終了(3ヶ月遅れ)の開放感とともに夏を楽しみにしているのです。今しばらくは梅雨を楽しみたいけれど、これがあけたら、夏だ〜。


2005年07月03日

RHGのすすめ

proftpdはコンパクトでよくモジュール化されているから読みやすいのも確かだけれど、でも読むにあたって以前rubyのソースを読んだ経験は役に立っている。結局、C言語で自由なモジュール追加を許す設計にしようとするとかなり選択肢は限られて、だから、rubyとかapacheとか、Linux kernelを読んだ延長としてproftpdのコードもすんなり読めた感じだった。

私がrubyを読んだときには生憎とまだ本としてまとまっていなかったのだけれど、今ならRubyソースコード完全解説という本がある。通称RHG:Ruby Hacking Guideだ。書籍版とは微妙にバージョン違いなのだけれど、RHGオンライン版もある。これが手元にあると読解がいくらか楽になるかも知れない。

今の1.x系rubyはgperfによる完全ハッシュとか、yacc/lexによる構文解析とか、構文木の評価とか、基本的なテクニックの地道にして精密な組み合わせでできていて、勉強には良い素材だと思う。評価器のコアの巨大なswitchだの、見るからにad-hocで効率悪そうなスレッド切り替えだの、良くない点もあるにせよ。

同じ系統に属するガイドとしてはCode Readingというのも一応あるけれど、これはねー。立ち読みした限りでは、煽り文句にあるほどの大層なものじゃない気がして買っていない。これぐらい、今更講釈されなくても、C言語を使えてる人なら誰でも普通にやってることだしね。どうせなら解説本も出たことだし、monaでも読む方がお勉強としてはいいかも知れない。monaは簡易shellがやっと立ち上がるって頃にちょっと読んだだけだけど。

私個人としては、YARVも楽しそうだから近いうちに何かしらHackしてみたいな。


2005年07月02日

proftpdのモジュール開発

proftpdは比較的軽量で、スタンドアローンでも(x)inetd配下でも動くftpdである。しかも、apache httpdに似たモジュールによる機能追加をサポートしており、コンフィグレーションファイルの書き方も似ている。ftpについて理解していてApache httpdの管理経験があれば、特にドキュメントを読まなくても一通りのことはできる。もちろんmod_tlsでSSLには対応済み。ただし、Explicit のみ。

ApacheのようなDSOに対応していないのが弱点で、つまりモジュールを足すには再コンパイルするしか無かった。でも、なんか1.3.0を見るとmod_dsoというモジュールが追加になっているので解消された模様。

というわけで、そんなproftpdのモジュールを開発してみようと思う。本稿はその開発メモである。



Q&A

Q.木尾士目『げんしけん』6より、

「げんしけん」メンバーでBL妄想って……。あの、腐女子のみなさん、そんなこと日常的にやってらっしゃるんですか?

A.やってます。空気を吸うようにごく自然に。電車の中でちょっと接近しすぎな男子高校生2人を見つけたときにも。ほろ酔いで肩を組んで歩いてるナイスミドル×2を見かけたときにも。まして、のし掛かってネクタイを引っ張るなんていう状況で他に何を考えろと言うんでしょうか。たとえ前のページを読んでいて事情を知っていてもそんなの関係ありません。その1コマを見た瞬間に自ずと妄想が沸き上がってきます。

これは私だけじゃない筈。むしろ、私の妄想力はまだまだぬるい領域の筈。ねぇ。志乃お姉さま? 栄里ちゃん

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