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2005年10月25日

人間性の剥奪

人間性を剥奪された人生の物語が好きだ。

その種の物語は生きる糧と言っても差し支えない。私もまた、身体性の把握、自己像のポジティブフィードバックから隔離され、全一性を奪われ、喪失していくことが正しいと信じ込み、自らの精神の血肉を削いで、人間性を剥奪されようとし、剥奪されてきたからである。それが故に、人間性を剥奪された人生を垣間見ることは、同病相憐れむナルシシズムを満たす。等しく同じ苦痛を味あわせたく思う復讐感情を満たす。そしてまたその中でいかに生きるかを学ぶ方法でもあるのである。

文学にも消費される物語にも、そういった類の人生は満ちあふれている。ちせ然り、アベル・ナイトロード然り、軍の神官然り。

オリジナルの論には真っ向から逆らうことになってしまうが、戦闘美少女というステロタイプに属する作中人物の多くが人生を剥奪されている。私にはそれが「ファリック」には見えないのだ。……といっても、その祖にして最大の例外がナウシカであるが。「生きよう」というナウシカに、全一性の欠如は存在しない。あの作中であれば私が共感するのは、そのものが災厄である知性・オーマだ。

私の哲学する者としての活動は、人間性とは何かを探求し、人間はいかにして生きるべきかを知るためにある。 私のオタクとしての活動は、非人間性とは何かを探求し、非人間はいかにして生きるべきかを知るためにある。 そして、私は自らはいかにして生きるべきかを知ろうとしている。



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