待て、これはStallmanの罠だ

Windowsプログラミングの極意 』を読んだ。既にあちこちで語られているように、これは「Windowsはなぜこうなっているのか」を語る本である。

Windowsのウィンドウメッセージの仕組みやダイアログ表示の仕組みなんかは、今まで理解が曖昧だった部分が分かって大変為になった。そして、私ゃ、GUIよりはCOMとShellを良く触ったので、その辺の話題はとても興味深かった。

でも、全体に分散配置されている愚痴についてはあまり共感できない。「いかにユーザーが/アプリケーション開発者が身勝手か」という愚痴。そのためにどれだけくだらない互換性レイヤーを書かなければならなかったか。

うんうん。その愚痴の1つ1つは確実に「何故windowsはこうでなければならなかったのか」を説明するもので、著者の個人的な愚痴ではない。でも、私の感想はこうだ。「プロプライエタリの中の人は大変だな」

著者が言う問題は、今の視点からみれば全部「ソフトウェアが自由であれば起こらないこと」である。

過去に対してこの感想を適用するのは不当ではある。Windowsプロプライエタリで開発して、Microsoftが成長して、世界のデスクトップOSが統一されなければ、現在はまったく違ったものになったろう。プロプライエタリでなければWindowsはここまで成長せず、PCはここまで普及せず、インターネット時代も違った様相を呈しただろう。

でも、その時代は終わった。今Windowsが無くなってもインターネット化への流れは止まらない。もうWindowsの役目は終わった。Ubuntuもあるし、Macも昔の爆弾が良く出るやつじゃなくて本物のUNIXになったし、より良い代替はある。あとはSurfaceだけリリースしたら解散していいよ。←いや、私は普段はこんな無茶を言ったりしないのだけれども、それを言わせたのは本書だ。

私はStallmanの主張に賛同しかねる部分もあるものの、本書を読んでいると何となくStallmanが正しい気がしてくる。「ふーん、ソースコードを公開すればいいのに」「ふーん。GPLなら平気だろうに」「ふーんLinuxなら擁護されるだろうに」と。

これをWindowsの人の本として読むのは間違いだ。多分、著者はStallmanの毒電波を受信してこの本を書かされたのだと思う。これは世界をGPLで染め上げようとする罠だ。

Windowsプログラミングの極意 歴史から学ぶ実践的Windowsプログラミング!

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