パッチをいろいろ送っていたらコミット権もらえました。未熟者ですが、これからもご指導のほどお願いします。
引き続き、ドキュメントとか色々と地味なことをやっていくと思います。
で、Rubyの開発で使ってもらうべくRedmineの改造をしてるわけですが、あまり進んでません。公開すれば少しはやる気が出るだろうか。ちょうど、Redmineの改造タスクをそのRedmine自身に管理させているので、それを公開すれば良い。capistranoレシピ書いて仮公開しちまうか。
それにしても、Redmineを管理するRedmineとか、gccのself compileとか、Squeakの構築話とか、この手の「くつひも」ネタは妙に萌えるね。ゲーデル。
RHGの逆襲 第3回の参加者を募集中です。
今回はクラスとモジュールやなんかのあたりの仕組みを探ります。
牧野修のバイオハザードのノベライズを読んだ。なんというか、牧野修の力量を思い知らされる。
牧野修が担当したというのはその独特の気持ち悪い世界の描写、その文体を買われたんだろう。それは正しい。この人が担当したからこそまだしも読めるものになっている。でも基本的な世界設定がひたすらモンスターを撃ちまくるアクションなわけで、映画やゲームには向いていてもノベライズには根本的に向いていない設定だ。牧野修ならばこそまだしも読める、けれどもどうしても牧野修のオリジナルの設定に比べると世界が分かりやすすぎて気持ち悪さが足りなくて食べたりない。
むー。やっぱり『病の世紀』が良かったよなぁ。とつい比べてしまうのだ。
きたみりゅうじの連載は、何かものを言いたくなるという点で上手いなぁ。
ソフトの使い方を覚えるというのは本質的なことではない。今現在、ホワイトカラーである個人が戦術としてそれらを覚える必要に迫られる局面は確かにあるだろう。でも、開発者がそれを肯定しちゃいけないよね。そういう「覚える負担」をなくすために開発すべきなのであって。
だが、ならば一般人は情報技術に対して無知であって良いのか。そのギャップは全て開発者が埋めるべきものなのか。それも違うと思う。世界認識を広げるための習得は必要だ。キーになるのは、「状態遷移システム」それから「非物質的実在」。エンド・ユーザー・コンピューティングを通じてこれらを習得することは万人に求められると考える。
最近の機械が使えない人というのは、大体が機械が状態を持つということに慣れていない。だから、何か操作をして状態が変化してしまうと、自分の立ち位置が分からなくなってパニックになる。かといって現代の生活で処理すべき情報操作のそれぞれについて1つボタンを作成するには、空間や鉱物資源はあまりにも足りない。そもそも、MS Wordと同じ機能を持つ大きさ100km四方の巨大なタイプライターを作ったとしてそれを使いたいだろうか。
状態遷移については受け入れてもらうしかないし、それによって新しい世界が広がるのだ。
それと絡むのが非物質的実在について。非物質を所有するというのは、かつては金融の人でもない限りあまり日常生活では目にすることはなかった。通貨価値は実際には非物質だけれども、でもそれは貨幣や紙幣によって物質に仮託することができた。サービスを受ける権利という所有は、現にその行為が行われるという光景に寄せることができた。象徴たる物質のよりしろを持たない非物質には一般人はあまり縁がなかった。
けれども、現在では非物質の所有が目の前に広がっている。Web業界は、ドメインや、アバターや、その他諸々の非物質的所有を次々と作り出している。別にそれが無くても生きていけるけれども、でも、この新しい大陸と無縁に生きるのは余りにももったいなくはないだろうか。
「物質以外の実在」「状態遷移」これは全ての人が知っておくべき価値であり、エンド・ユーザー・コンピューティングを通じて真に学ぶべきことはそういうことだ。
都内某所でRubyのリリースを今後どうしていくのかということについて話し合いが行われた。
実は2月29日に「肉の日リリース」が行われるという噂であった。リリースされるバージョンは1.9.0-1という謎のバージョンということである。いかにも嘘っぽい本当の話である。
現状の1.9系統は言語の拡張が激しく行われている最中だ。安定化を志していないわけではないけれども、それは最優先事項ではない。ただ、そんな中でもとりあえず少しは安定したリビジョンのスナップショットを時々リリースする。1.9.0-1はそんなリリースの最初の一歩になる筈であった。このよく分からないリリースは、拡張されつつある「新しいRuby」にユーザーが触れる機会なのだ。
1.9.0-1については「29日にリリースしようかな」という話はあったけれども、誰もJSTとは言っていないので、まあ、この後数時間のうちにリリースされるのかもしれない。それとも、リリースするのを忘れているのかもしれない。そんな説もある。
そんなこんなで、Ruby 1.9系統のリリーススケジュールはまだ不明確だし、1.9はunstable版であって、あんまり安心して使えるものではなかったのだ。
追記: ruby-dev:33393でJSTと明言されていたらしい。
で、今後のリリースをどうしようかという話し合いが行われたのである。「もうちょっと安心して使える1.9が欲しいよう」というユーザー側の要望によるものが大きい。
で、次のようにやってみたらどうかということになった。
この話の確度としては、Redmineの設置に関しては私が「やる」ので確度高い。それ以降は「我々としてはこういう風に提案するもので、こういう風にに動くつもりだが、どうか」と、これから周知してこれから合意を形成しようというところ。
とりあえず、こんな感じかな。将来の「夢のリリースプラン」なんかも話したけど、とりあえずここまでを確実に実行してIssue tracking態勢を築かないといと足下が崩れる。
ただ、1つだけ言えるのは、1.9系統はいつまでも"unstable"なままでは決してない。1.9は、2.0への踏み台として「一般のRubyユーザーがいつかは使うべきもの」だ。ライブラリも、アプリケーションもいつかは1.9に対応すべきだろう。今は必ずしもその時ではないし、1.9もまたそれに相応しい完成度ではないのだけれども。
1.9.1という名前のリリースが結局のところ何なのか、去年のクリスマスにリリースするとか噂されていたものが結局何だったのか。1.9.1は「完成度の高い1.9」を指す名前らしい。ならば、1.9.1こそがRubyistが1.9に移住を始めるべき時、であるのかもしれない。1.9.1以降は"stable"としての1.9系統が手にはいるのかもしれない。
更に、1.9.1かあるいはその先か、その見果てぬ"stable"としての1.9をただ待つつもりは私にはない。必要なのは、「とにかくユーザーに触ってもらえること」だ。試してもらうためにはある程度メンテナンスされる見込みと、ある程度の仕様の安定性が必要だ。その条件を満たす"semi-stable"リリースっていうのもあり得るだろう。その為に、できることはする。
1.9は"unstable"なままではない。"semi-stable"を経るかして、そして2.0より前に"stable"な1.9がきっと手にはいるのだ。