上に上にとpushしていくからstack。別にpopする予定はないのだけど。
……オタク系の人って「徒然」って言葉好きですよね。何故か。
思うに、異性装とはドリアンのようなものであろう。
ただし、ここでは性別の基準を性自認に置いている。服装の好みに表れる性差は性自認を基に文化的体験を通じて形成され、多くの場合性自認に沿う傾向を見せるわけだが、その「服装の性」と正反対の服装をするケースがある。ここではそれを異性装と呼ぶする。従って、性同一性障害者に関しては精神医学的に用いられる意味での「異性装」とは意味が逆転している。
さて、異性装をドリアンに喩えたのは何故かというと、その癖の強さ故である。ドリアンは非常に癖の強い食べ物である。その匂いのために、近寄るのも嫌だという人もいる一方では、独特の風味を好む人もいる。
ドリアンを好む人にとってその匂いがなければそれはドリアンではない。その強烈な刺激があってこそドリアンなのである。しかし、彼らにしたところでもし毎日ドリアンのみを食して暮らせといわれたら、相当の対価でも得られない限りお断りであろう。
異性装はドリアン同様、非常に刺激的な体験である。その刺激の強さ故にそれを好む人もいる。性自認が完全に男性であるのに女装を好む男性は一定数存在するし、逆のケースもある程度はいる。そういえば、友人・栄里嬢も「男装してみたい」と言っていた。
一方、同じ理由でそれを酷く嫌う人もいる。自分に合わないタイプの強い刺激は甚だ不快なものである。
そして、それは非日常であるからこそ楽しみうるものである。異性装はご飯やパンではないのである。
そうして考えてみると、性同一性障害者が性自認に従った服装をしようとするケースが多いのも理解できるのではないかと思う。「ドリアンを食べないあなたなんか嫌い」と言われようが、「ドリアンを食べ続ければ100万出す」と言われようが、ドリアンばかりの日々はもう嫌なのである。
社会的・経済的な代償を支払わねばらないとしても、私はドリアンはもうお腹いっぱいである。
2002.12.29
私がここ1週間で読んだ本のリスト
私の興味関心・趣味嗜好を良く表している気がする。
2002.12.28
世界は言葉でできていて、だから名前のないものについて考察はできない。
「私は何者でもない」と私はそのことを呼んだ。名前のないことが名前であった。
だから、名付けることで問題を可視化すると言うことがジェンダー論の常套手段なのであって、せめて>>1 と呼ぶことが「仕様書なしさん」や「132人目の素数さん」や「名無しが氏んでも代わりはいるもの」の住まう国での習慣なのであって、人々は名前を知られることを恐れ、祈りの言葉は心に染み渡る。
そんなことを、ふと思った。
2002.12.06
今日は痛くて辛いことが沢山でした。でも、あなたと話せたから幸せです。お姉さま。
2002.11.06
諸々の事情から栄里嬢のところで半同居中。今は彼女が帰省中なので私も家に帰っている。
栄里嬢のところは大学に近いので通学が楽だし、何より彼女といるのは気が楽だ。
学部3年の秋になって、そろそろ身の回りでも就職活動の話題が活発になってきたが、どうも就職できる気がしない。
この就職氷河期に加えて、報道される性同一性障害者への差別的取り扱いを見ていると自分が就職できるとは思えないのだ。勿論それだけではなく、のうのうと学生をやっているせいで働くということに実感を持てないと言う問題も混じっているのであろうが。
声の問題とかが未解決なので、完全にパスして就職するのは現状では無理だし……。
いっそのこと性自認を偽って普通に男性として就職できないかと考えてもみた。そうすれば性同一性障害者への差別は勿論、女子への就職差別にすら遭うことはない。その問題さえ解決すれば、現在バイト先でも技術は評価されているし、死ぬ気で食いつけば何とか就職できないこともないような気がする。
……というわけで、まず性自認を偽って生活できないかと試してみた。しかし、無理だ。一秒も休まずに自分の行動をチェックして演技し続けるのはやはりきついものがある。ただ街中をぶらぶらしただけなのだが3時間ほどで汗だくになり、口も利けないほど疲れ果てた(そして翌日は鬱で行動できなかった)。こんな状態で仕事ができるか!
何をしているわけでもないのに汗だくで息も荒い、見るからに疲れた顔をしつつも何とか耐えようと目を見開いている私は、端から見てさぞや怪しい人物であったことだろう。そのときは周りの様子を見ている余裕など無かったが。
「男の子モード」とか言って難なくこの状態を維持している当事者の人が信じられない。私の努力と根性が足りないのか、それとも、性同一性障害の在り方は当事者により様々とも言うからそのためなのか。
実際、現在生活できているのは、大学という比較的ジェンダー規範の希薄な空間に居ることに多分に依っている。猶予期間をのばしてその間に適応を高めるという目的で院に逃げる手はあるかとも思う。
と、幸い条件は整っていることであるし。いや、時期的にとっとと決めねばならないのだが。
2002.11.01