徒然スタック [2002.03.28]-[2002.09.15]

上に上にとpushしていくからstack。別にpopする予定はないのだけど。

……オタク系の人って「徒然」って言葉好きですよね。何故か。


目次


誰へともなく呟く言葉

待ってる。あなたが帰ってくるのを待っている。

あなたのことをあなたが嫌いで仕方がなかったとしても、
私はあなたをずっとずっと大好きだった。
あなたの装う虚飾をあなたがとても嫌っていたとしても、
虚飾の奥にいるあなたの姿が少しは見えていたのだと信じている。

無力を言い訳に何もできなかった私を許してください。

私はあなたの望みを察することもかなわず、
あなたが私に求めてくださるのを待つだけで、
そして、私は結局何も差し上げられなかったのでしょう。

あなたに必要なだけ、あなたに寄りかかって欲しかった。
でもあなたはそうはせず、あなたに一番必要なのはあの人で、
そして、何をすればよいのかも分からなかった私。
私はただ、その事実を知るべきなのでしょう。

あなたをこれ以上追いつめるのは本望じゃない。
だから、探したりはしない。
でもあなたが呼んでくださるならば、
いつでもどこへでも向かうでしょう。

何年でも、時の果てるまでも待つでしょう。
でも、願わくは、あなたが苦しむ日々がそんなには長くないように……。

上記文章を意味不明のままに読んだ方々へ。ただの私信です。気にしないでください。

2002.09.15

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B.B.Joker

B.B.Jokerを買って激しくはまった。

私とてオタ女のはしくれ、以前からこの話題作の評判は聞いて目を付けてはいた。けれども何となく今まで手を出さないでいた。はまる人と面白みを感じない人と両極端に分かれるとも聞くけれど、私は確実に前者である。可笑しすぎて笑い転げて体力を消耗するため、一冊を数度に分けて読まねば読み切れない。

ただでさえ性同一性障害やら何やらと心配をかけているのに、夜な夜な不気味な笑い声を響かせて済まぬ。>母

2002.08.27

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世界は呪われている

世界は呪われている。
世界は呪われている。

水素核反応の焔は、私を焼き焦がす硫黄の焔。
立ち昇る熱気は、私を蝕む硫黄の瘴気。

神に追われた異端者の流刑地――それは地上。


栄里嬢と歩いていたら、あまりの暑さに思わずこんな詩を口ずさんでしまいました。温暖湿潤気候の夏の昼間など、人間が生きる環境じゃありません。

日光は嫌い。特に朝日は嫌い。星月夜と黄昏と雷雨だけあればいい。あとは要らない。

2002.07.28

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「数学と哲学」

再びアクセスログのネタを。

アクセスログを見ていたところ、神名龍子氏のページ経由でのアクセスがあったようだ。見ると、そのページの中で、このサイトについて触れられている部分があった。大変光栄であるし、驚いた。

そのページで語られている「数学と哲学」の問題は、私が少し心惹かれながらも、「当面は数学を優先」と思ってついつい後回しにしているものでもある。非常に興味深く読ませていただいた。

私は以前は物理学志望だった。しかし、物理で多用する「(1+e)^d = 1+ed (if e<<1)」にどうしても馴染めなかったことが発端となって、次第に数学へと興味が移っていった。

思えば、幼児期は生物学志望。小学校低・中学年の頃は化学志望。それ以後は物理学志望。そして今は数学をやっている。それも、当初は解析学に関心があったが、今はかなり基礎論寄りだ。確実に私の関心は基礎分野へ向かっている。この分ではいつか哲学へ至るのは必然なのかも知れない。

そう言えば、そのページでは私が安易にスタンスは近いものを感じると書いたことに対してしっかりチェックが入っていた。私としては「自らT'sであることを理由に思考停止することを拒む」という程度の意味であり、それ以前に私が見た幾つかのT'sサイトへの不満表明以上のものではなかった。

考えてみれば、その程度の考えでおこがましくも「近いものを感じる」と書くのは、あれだけ思索を深めている神名氏に対して些か失礼であったかも知れない。

「意見もスタンスも異なるが」、私は神名氏を尊敬している。そして、私が数学を続けるのか哲学へ至るのかは未だ分からないが、私は私の道を行こうと思う。

2002.07.08

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償い

追いつめられた人に残された、僅かな逃げ道を否定するようにもとれることを言ってしまったとき、それをどうやって償ったらよいだろう。

せめて、そういう風には解釈しないでくれていることを願うけれど、もしそう解釈してしまったなら、私はどうしたらよいだろう。

そうやって、少しずつ苦しみを逃がしていくことがどんなに大切か、私は知っていたんだに。

「我らに罪を犯すものを我ら赦すごとく、我らの罪をも赦し給え」と祈ることは大切だ。しかし、それを口にするのみで何か形にしようと努めないならば、その祈りは虚しい。

「主よ、我が罪に立ち向かう力を与え給え」。私は私の罪の前に無力かも知れないけれど、それでも何か私にできることを探し続けようと思う。

2002.07.03

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冷静に性を語る

気になる?」を書いていてふと思った。私は平気で「ペニス」だの「クリトリス」だのと書くし、日常(off-line)でも必要でさえあれば躊躇なく口に出す。しかし、恐らくはそれに顔を赤らめてしまう人や、顔をしかめる「良識人」もいるのであろう。いや、事実いた。

私がそれらの語を使うとき、それは単なる解剖学用語であって「視神経」や「ランゲルハンス島」や「砧骨」と同列である。人体にその名称の部位が存在するという以上の意味を持たない。客観を基礎とする自然科学の言葉であって、何らの個人的な感情移入を伴うものではない。

ジェンダー論や医学に関する議論の中で性器について言及する必要のある研究者や学生、医療関係者には珍しくもない心性であると思う。しかし、どうにもこのような心性は一般的ではないようだ。

無論、(フロイドは極端にしても)性は個人の人格のあり方や人生に深く関わっている。それ故に人々は、性や生殖に関係の深い幾つかの器官には独特の思い入れを持っているのだろう。その表れとしてのある程度の羞恥心もまた、自然なことであると思う。

だが、それは個人の身体や個人の体験、或いは性に関する価値判断について語るときにのみ表れれば十分ではないか。どうして、客観的事実について議論しているときにさえその種の個人的な羞恥心や価値観が関係してくるのだろうか。

要するにそれは、先進諸国において20世紀に極度に発達した「性のタブー」と言うことなのだろう。それにしても、何か違わないだろうか。人体の一部として極めて身近に存在するものについて個人的立場を離れて真面目に冷静に考察し、言及することが何故困難なのだろうか。そして、そのくせに何故、猥談の形では頻繁に語られるのであろうか。

そう言えば、成田文広氏による研究紀要「女子学園と性的マイノリティ」性的マイノリティとはの項にもそんなようなことが書いてあった。

それが何故なのか、私は分からない。しかし、これはセクシュアルマイノリティにとっては大きな問題である。マジョリティであれば恋愛・結婚というオブラートによって性欲の存在を包み隠し、戸籍簿上の二値変数によって露骨でない表現で性器形態に言及することができる。これに対して、マイノリティはその種の便利な語彙を母国語の中に与えられていない。自分についての基本的な属性を語るために、しばしば性的な色彩の濃い用語を用いねばならない。

事実を事実として冷静に語るくらいはできて欲しいのであるが、これは理系人間の勝手な言いぐさなのだろうか。

……逆接が無闇に多い典型的な悪文になってしまった。いずれ修正したい。

2002.06.28

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気になる?

多くのサイトがそうであるように、うちのサイトも「どこからのリンクでサイトにやってきたか」や接続元のIPがサーバーのログに自動的に残る(別に、これだけの情報じゃ個人情報抜き出せたりしません。そのあたりに詳しくない人、過剰に怖がらないでください。ホームページを見てる限り、どこのサイトに行ってもこの程度の情報はログに残ります)。

さて、そのログを見ていて、酷く気になることがある。サーチエンジンでキーワード「ペニス + ギネス記録」を検索してうちのサイトにやって来る人が異常に多いのだ。性同一性障害について|性同一性障害の概要にたまたまこの2語が両方とも含まれているためらしい。

接続元のIPも毎回全然違うので、恐らく全部別人なのだろう。つまりは、「ペニスの(恐らくはサイズの)世界記録」を知りたがっている人が世の中にそれだけいるということだ。

私も昔、無理矢理男性の振りをして男性達の文化に浸りながら生活していた関係上、世の男性諸氏がペニスのサイズに並々ならぬ関心を抱いていることは知識としては良く知っている。しかし、どうにも実感が湧かない。そんなにも気になるものか? まあ、これはMtF-TSには永遠に分からない謎なのだろう。

全然違う内容のコンテンツをお見せしてがっかりさせたお詫びに、お探しの世界記録を調べて隅のほうにでも書いておこうと思ったが、ギネス世界記録のページでは分からなかった。偶々見かけたページによると世界記録保持者はアメリカのポルノ男優43.5cmらしいが、オリジナルの出典は不明。これ以上追跡調査するほど暇でもないし、真偽のほどは分からない。

2002.06.28

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誕生会

基本的に、いかにも「日記日記」した記事はこのスタックに書きたくないのだけれど、今日だけは(って書いてる時点で日付はもう変わりましたが)どうしても書きたいのでちょっとだけ……。

今日は志乃お姉さまの誕生パーティーだった。志乃お姉さまと私はいつもエス(姉妹)な関係をやったり、やおいネタで盛り上がったりしている。心優しく変人で美しい自慢の姉(「姉」と書いてグラン・スールと読む)である。

何故か主賓自らが幹事として準備に奔走していたこのパーティー、学科や、学内の様々なサークル、その他組織、ネット上など様々なところでのお姉さまの知り合い17人が集まった。お姉さまの顔の広さを改めて思い知る。かなり個性的な出席者により会は非常に盛り上がり、まずは成功だったのだと思う。

私は、天性のエンターテイナーであるお姉さまの祝い事に対しては、真面目な祝い方でなくネタで返すのが妹たる者の作法と心得ている。とりあえずお姉さまの大嫌いな激甘チョコレートケーキを焼いて行った。お姉さま以外の出席者には好評。お姉さまからは「これで甘すぎなければ美味しいよ」とのコメントを頂いた。

一次会を終えたときには、酒豪のお姉さまには珍しくやや足取りが怪しい。

祝福を浴びるお姉さまの姿を見、聖嬢をはじめ噂に聞く方々にもお目にかかって、私も実に楽しかった。

お姉さま、おめでとうございます。

2002.06.08

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疑念こそを歓びたい。

私たち性同一性障害者を含むあらゆる異端者は、世の常識の枠組みの外にあるからこそ異端者であると言える。常識に対する反例であったり、常識の自己矛盾が露呈する特異点であったりする。

つまるところ、異端者に対する議論とは常識に対する問題提起なのであり、異端者を論ずる際に常識を前提に置くことは愚かなことである。それは同語反復しかもたらさないのだから。

しかし、人間なかなか簡単に自己の中に内面化された枠組みから解放されて思考できるものではない。頭で幾ら分かっていても、どうしてもそれに囚われがちである。例えば私は、ジェンダー論なんぞをやっている関係上「外科医=男性」というバイアスが世の中にあり、また私の中にもあることを良く良く知っている。それにもかかわらず、個人的な知り合いに女性外科医がいないこともあって、どうしてもこの観念から自由になることができない。落ち着いてものを考える際には勿論、女性の外科医が存在する可能性を十分に考慮するけれども、何の脈絡もなく突然「外科医!」と言われた瞬間にイメージするのはメスを持った男性の姿である。

だから、たとえ性同一性障害についてある程度知識がある人であったり、私がカムアウトした知人であったり、そういう人であっても、必ずしも既存のジェンダー規範、性同一性障害に関する偏見から自由に思考できるとは限らないと思う。むしろ、ときにそれに囚われることこそが自然ではないだろうか。そして、そのために私の性的アイデンティティやセクシュアリティのあり方に疑念を抱くこともまた、自然であると思う。

当然の事ながら、私はその疑念に対して正当な釈明をすることができる。しかし、それは彼らが私にその疑念を伝えてくれたときに限られる。

私が最も恐れているのは、親しい人がその疑念を抱きつつも私に伝えることなく心中にしまってしまうことである。私にとって全く不当なその疑念は解消されることなく、或いはいつしかふくれあがって何か問題を引き起こすかも知れない。

疑念をこそ歓びたいと思う。疑念を私に直接述べてくれたその人を、私は生涯信じたいと思う。

2002.04.19

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カムアウト終了

友人Y姫にカムアウトした。ゆわりん、あやくぷ、I姫に対しては去年の秋・冬にそれぞれカムアウトしていたのだけれど、彼女にだけはなかなか機会が無くて喋っていなかった。これにて、親しい人へのカムアウトは一通り終了となる。

なんだか随分ときちんと話を聞いて貰えて、嬉しい言葉も戴けて、とても嬉しく思った。幾ら感謝してもし足りない。つくづく、友人には恵まれたと思う。

2002.04.17

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性同一性障害は病気か

志乃お姉さまの日記の3月28日にある、性同一性障害は病気なんかじゃない、という記述を数日間考えてみた。実はこれについては以前もお姉さまと飲み会のときに話したことがあって、そのときはそれなりに彼女の説に納得した覚えがあるのだけれど、今考えるとやはり少し疑問が残る(たぶんお姉さまの考えを十分に理解し切れてもいないと思う)。

これは性同一性障害当事者の間でも長らく問題になっている点でもある。確かに正常/異常の区別なんて多分に恣意的なものである。それに私たちは性自認のあり方と身体との間に食い違いが存在するだけで、性自認を含めた精神そのものと身体そのものとを別個に考えれば、そのそれぞれは人間の精神/身体として全くの正常である。

しかし、私は思う。私たちは(恐らくは)先天的な生物学上のエラーを抱え、そのためにQOL(Quality Of Life)が著しく損なわれ、そして医療的ケアを必要としている。医療的ケアを必要とするそれは病気ではないのだろうか。医療的ケアがなければ困るような不均衡な状態を病気と呼称することに何か問題があるだろうか。

「病気と言われたくない」という当事者の意見の中には「差別を助長する」というものもある。事実、過去には同性愛者に対する同情を集めようとして同性愛を病気と定義した結果、かえって差別を煽ってしまったという前世紀の苦い教訓がある。

しかしながら、これを論拠とするのは適当でないように思う。私自身両性愛者であり、また身近にも同性愛者は少なくないが、同性愛傾向を持つ人間にとって同性愛傾向の問題は「ほっといてんか」というのが正直なところであるように思う。これに対して性同一性障害はそうではない。私たちは放っておかれては困るのである。

例えば、世の人々が性同一性障害に関する偏見を改めたとして、「あなた達のことは一個の人間として認めるから、それでいいよね。社会はこれ以上何もしなくていいよね。問題は解決だよね」と言われるくらいなら、現状の差別に満ちた社会の方が幾らかましである。

性同一性障害は社会との関係性の中の問題ではあるけれど、それ以前に、そしてそれ以上に自己同一性と尊厳の問題である。如何に社会の認知と受容が進んだとしても、精神療法・ホルモン投与他・SRSといった治療は必要とされる。周辺的な問題の解決によって中核が隠されてしまうとすればそれは恐ろしい。この構造は「『めくら』という言葉を抹殺したから視覚障碍者に対する差別は解消した」という主張に似ている気がする。

2002.04.04

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電車内メイク

営団地下鉄の構内に「パタパタメイクにホトホトメイワク」なる、またしてもオヤジギャク炸裂な広告が掲示されている。要するに昨今よくいわれるように「車内のお化粧はやめましょう」ということらしい。プライベートを公に垂れ流すのはやめましょう、と。

この意見自体には賛成だ。プライベートを公に垂れ流すのは良くないことだし、少なくとも私だったら恥ずかしくて車内でメイクなんぞできない。あの見苦しい車内メイクは是非ともやめていただきたい。

しかし、問題なのは何故このような意見が台頭してきたか、ということである。

プライベートの垂れ流しは以前からあった。喫煙、すなわち習慣性薬物の服用という極めてプライベートな行為を公の場で行う人は少なくない。公道で泥酔したり、或いは電車内でスポーツ紙のヌード写真を見るなど、同様のことは極めて一般的に行われている。

勿論、これらについてはきちんと批判は行われてきた。しかしそれは、「受動喫煙により周りに危害を加える」「面倒を見るのが迷惑だし、危険でもある」「セクハラ紛いである・性の商品化である」、といった異なる理由に基づいてのみ批判されてきた。「プライベートの垂れ流し」というものに基づく批判が一般化するには至らなかった。

要するに、「プライベートの垂れ流し」云々などは一般的には明確に意識されることはなかったのである。と、すれば何故ここにいたって急にこれが意識化されてきたのかを検討する必要がある。

結論から言うとこのことは、大部分の人にとって「プライベート・公」なんていうのは単なる後付の理屈に過ぎず、「ムカツク」「目障り」「見苦しい」という感情が先にあった、という証左のように思える。

その感情の正体についてはまだ大いに議論の余地がある。想像するには常識的な感性を持った女性達(性自認)の美意識への抵触だとか、「無視された」形の男性達(性自認)のプライドの問題だとか、そういうことではないかと思う。勿論、これに限らず多様な理由はあることだろうが。

自分の気持ちに合理的な説明を与えることは気持ちがよいが、自分が本当にそんなに合理的に考えたのかはよくよく検討する必要がある(自戒)。

2002.03.29

2002.06.28 タイプミス・マークアップ修正

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異端者は友に捧ぐ

私を普通に扱ってくださるということ。
それがどんなに嬉しいか、分かっていただけるかしら。
今までずっと、そんなこと望めもしなかったから。

それをどんなに感謝しているか、伝え切れているかしら。
私はいつも、傲慢を装ってしまうから。

あなたがたがどんなに素晴らしいか、果たしてご存知かしら。
あなたはいつも、「自分は何もしてないよ」って顔をするから。

我が友人、あやくぷ,I姫,Y姫,ゆわりん(五十音順(藁) )へ

2002.03.28

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